一度は極めた競馬予想。大きな挫折を味わい今ここに羽ばたく馬のごとく、ブログデビュー。予想師さんの検証が1番です。
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小牧太来歴

兵庫所属時代

兵庫県競馬組合の曾和直榮厩舎に所属。初騎乗は1985年10月30日で初勝利は同年11月3日。曾和厩舎の主戦騎手として、楠賞全日本アラブ優駿3勝など数々の重賞を制覇した。当時、兵庫県競馬に長く君臨していた田中道夫(現・調教師)に引導を渡したのも彼である。兵庫県でのリーディング獲得は9年連続を含む10回を数え、1994年1996年には全国リーディングを獲得している。

アラブ時代は縁が無かった三冠制覇はサラブレッド導入2年目にロードバクシンで達成している。

小牧太 中央競馬での活躍、移籍

中央競馬での初勝利は1993年ワールドスーパージョッキーズシリーズ参戦時。その後、兵庫県競馬にもサラブレッドが導入されたことから中央競馬での騎乗も増え、移籍前に重賞を2勝している。この頃から橋口弘次郎厩舎の所属馬に騎乗する機会が増えた。

2001年2002年に中央競馬で20勝以上を挙げ、JRAの騎手試験の一次試験の筆記試験(国語・数学・競馬法規)が免除され二次試験(技能試験と面接)から受験できる資格を得た。2003年の同試験に合格し、2004年にJRAへ移籍。兵庫県競馬組合所属としての最後の勝利は、特別に「フェアウェルステージ」と改称されたレースで同じくJRAへ移籍する赤木高太郎をマッチレースの末、クビ差抑えてのものだった。通算勝利は3376勝。

小牧太 日本中央競馬会移籍後

移籍後の初騎乗は2004年3月6日、初勝利は翌3月7日。しかしJRA移籍後は移籍前より下手になっていると陰口を叩かれる事もある。ダイタクバートラムでは同じようなミスを犯し、しかもミルコ・デムーロに乗り代わった途端に圧勝されるなど与えられたチャンスを生かせなかった。また、騎乗機会の多かった橋口厩舎の馬でも近年は上村洋行ペールギュントなど)や藤岡佑介ローゼンクロイツなど)に委ねられる事が多くなってきている。

それでも移籍4年間で重賞を9勝(地方込み)、2006年2月26日の阪神第2レースで中央競馬通算200勝、2007年10月7日に中央競馬通算300勝を達成している。2007年2月34日には小倉大賞典シルクロードステークスと2日間で重賞2勝するという偉業を達成している。

2008年4月13日桜花賞をレジネッタで制し、JRA移籍5年目にして初のJpnI(GIを含む)勝利を飾った。同年のスプリングステークスをスマイルジャックで制するなど同年のクラシック世代で活躍していることから、桜花賞実況の馬場鉄志関西テレビアナウンサー)をして「今年は小牧の年か!」と評するなど、今後の活躍が期待されている。なお、桜花賞以後もレジネッタを優駿牝馬で5番人気3着、東京優駿ではスマイルジャックを12番人気で2着に好走させ、それぞれのレースで3連単44万馬券、20万馬券となるのに一役買うなど、2008年の3歳春クラシックを盛り上げたジョッキーの一人である。また、夏にはカノヤザクラでアイビスサマーダッシュセントウルステークスを制してサマージョッキーズシリーズに優勝、JRA移籍後初となるワールドスーパージョッキーズシリーズへも参戦した。

2009年7月19日アイビスサマーダッシュ新潟競馬場)をカノヤザクラで制し、人馬共に史上初となる、アイビスサマーダッシュ連覇を記録した。

なおJRA所属となってからも兵庫への参戦は活発で、2004年に条件レベルの交流戦を中心に地方全体で10勝を挙げ、兵庫での重賞成績は4戦2勝2着2回。三冠の園田ダービー菊水賞では兵庫所属のホクセツガーデンに騎乗している。なお、現在でも時々兵庫で地元馬に騎乗する事があるが、岩田康誠のように以前の勝負服を着用する事は無い(毅が勝負服を受け継ぐ前から)。ただし、必ず緑色ベースの貸し服を着用するのでかつてのイメージは残されている。

小牧太エピソード

泣き虫ジョッキー

太は感激屋であり、非常に涙もろいことで知られている。前述の中央競馬初勝利のワールドスーパージョッキーズシリーズでの表彰台に上がった際に涙を見せたのをはじめ、JRA移籍直前の園田競馬場での壮行会でも涙で挨拶にならず(最初に一言しゃべりかけたものの涙で詰まってしまい、1分以上泣きじゃくって何も言えず、なんとか「JRAに行っても応援してください!」とだけ言うのがやっとであった。一方の赤木高太郎は関係者やファン向けに淡々と謝辞を述べており、対照的な光景であった)、自身念願の初JpnI(GIを含む)勝利となった桜花賞の勝利ジョッキーインタビューでは「ファンの皆さんにやっとJpnIを勝てました、お待たせしましたと言いたい」とコメントし、ここでも涙を見せた。かつて、弟の毅が重賞初制覇をした時は、本人の分も泣いていたほどである。

小牧太 優駿謝罪事件

この涙もろい性格がある騒動を引き起こしたことがある。1993年、ワールドスーパージョッキーズシリーズでの勝利の翌月のJRAピーアールセンター発行の月刊誌「優駿」誌上で、さるコラムライター(岩田康誠の友人である)が自身のコラムにおいてこの様子を「1500万下の競走に勝って泣くとは前代未聞」と茶化してしまい、読者、果ては地方競馬調教師からも抗議の手紙が寄せられ、編集部が誌面にて謝罪するという事態に発展した。

ジョーク中心のコラムに対しては過剰とも思える反応のようだが、当時は地方競馬所属の騎手が中央競馬のレースに乗ることのできる機会はめったになく、さらに世界の一流のジョッキーばかりが乗るレースで勝つとなるとそれこそ至難の業であったことを付記しておく(中央競馬と地方競馬の交流が現在の形になったのは1995年以降)。なお、岩田康誠だけは、このライターを擁護する発言をしている。

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